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G・ガルシア・マルケス「予告された殺人の記録」|風の時代に読むべき名著【あらすじ・感想】

予告された殺人の記録,風の時代に読むべき名著

ノーベル文学賞作家のガルシア・マルケスに影響を受けた、作家、映画監督、クリエイターは古今東西、数多くいる。「表現」というものに興味を持っている人であれば、きっと誰もが、すでにどこかでガルシア・マルケスに巡り会っているはずだ。しかし、名前は知ってるけど、、とか、どの作品から読めば、、という人も多い。

彼の作品で一番有名なのは、「百年の孤独」。そして新型コロナの流行が始まって以降は、「コレラの時代の愛」も書店では目立つところに置かれるようになった。

難解ともいわれるガルシア・マルケスだが、「予告された殺人の記録」は、読みやすい中編で、実は素晴らしく計算された構成なので、彼の作品の入門書としてもおすすめの一冊。新潮社の文庫版は、ジェームズ・アンソールの表紙絵も素敵。

新しい時代を連れてきた男、それによって変わっていく村の人々、という構図は、コロナ禍以降の現代にこそ読むべき作品。

幻想的で、鮮やかな夢を見ているような文体が、読み手の五感に刺さる。

ラテンアメリカの空気、息遣い、美意識を直に味わえる。

こんな方におすすめ

・マジックリアリズムの手法が特徴的な作家の作品に興味がある。

・ラテンアメリカの色彩と、長い夢を見ているかのような文章に酔いたい。

・三島由紀夫、中上健二、筒井康隆、寺山修二、カフカが好き。ホドロフスキー等ラテンアメリカの映画が好き。

ガブリエル・ガルシア・マルケス

ガブリエル・ホセ・デ・ラ・コンコルディア・ガルシア・マルケスGabriel José de la Concordia García Márquez)1928年(1927年との説も)3月6日‐2014年4月17日、コロンビア生まれ。 架空の都市マコンドを舞台にした作品を中心に、魔術的リアリズム(マジックリアリズム)の旗手として、数々の作家に多大な影響を与える。1982年にノーベル文学賞受賞。

1955年、処女作『落葉』を出版。

1959 年、カストロ政権の機関紙の編集に携わる。

『百年の孤独』(1967年)を発表、空前のベストセラーとなる。

『エレンディラ』(1972年)

『族長の秋』(1975年)

『予告された殺人の記録』(1981年)

『コレラの時代の愛』(1985年)

『迷宮の将軍』(1989年)

『十二の遍歴の物語』(1992年)

『愛その他の悪霊について』(1994年)など。

『予告された殺人の記録』

  • 出版社 ‏ : ‎ 新潮社 (1997/11/28)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1997/11/28
  • 文庫 ‏ : ‎ 158ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4102052119
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4102052112

あらすじ

町をあげての婚礼騒ぎの翌朝、充分すぎる犯行予告にもかかわらず、なぜ彼は滅多切りにされねばならなかったのか? 閉鎖的な田舎町でほぼ三十年前に起きた、幻想とも見紛う殺人事件。凝縮されたその時空間に、差別や妬み、憎悪といった民衆感情、崩壊寸前の共同体のメカニズムを複眼的に捉えつつ、モザイクの如く入り組んだ過去の重層を、哀しみと滑稽、郷愁をこめて録す、熟成の中篇。

物語は、コロンビアの小さな町で起こった殺人事件を中心に展開する。主人公であるサンティアゴ・ナサールは、美しいアンヘラ・ビカリオとの関係をめぐって物議を醸していた。

アンヘラは、突然町に現れた名士、バヤルド・サン・ロマンに見初められ、町を挙げての婚礼が行われた。ところがアンヘラはサンティアゴによって汚されていたことが発覚し、結婚は数時間で終わる。そこで彼女の家族は、彼女の名誉を守るために必死になっていた。兄弟たちであるペドロとパブロ・ビカリオは、サンティアゴに対する復讐を誓って、それを町中に予告していた。

物語は、サンティアゴの死の前日から始まる。町のほとんどの人々は、彼が殺されることを知っていたが、なぜ誰も彼を助けようとしなかったのか。そもそも、アンヘラを汚したのは本当にサンティアゴだったのか_

多くの謎を含んだまま、さまざまな偶然が重なり、物語は悲劇へと向かっていく。

感想

ラテンアメリカの光と影

物語はサンティアゴの親友であり、彼を殺した兄弟の親戚でもある「わたし」によって、時間が逆行する形で語られる。ガルシア・マルケスは書き出しでクライマックスを明かしており、その筆致は惚れ惚れするくらいに大胆だ。これは、全体の綿密な構成によほどの自信と技術が無ければ、できない書き方だろう。

自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、司教が着くのを待つために、朝、五時半に起きた。彼は、やわらかな雨が降るイゲロン樹の森を通り抜ける夢を見た。夢の中では束の間幸せを味わったものの、目が覚めたときには、身体中に鳥の糞を浴びた気がした。

町はどこか暗く、狂気に満ちている。そんな中での豪華な婚礼の祝祭と、翌日の司教の来訪という一大イベント。この対比が、日本の真反対に位置するラテンアメリカの美しい色彩となって、読み手の頭の中に広がる。

ホドロフスキーのカルト的な「エル・トポ」という映画がある。年間100本ほど映画を見ていた学生時代に、いろんな意味で一番衝撃を受けた映画だった。(それについてもいつか書きたい)あの作品に描かれていたような、照り付ける南米の太陽と乾いた町、鮮やかな花や装飾、人々の狂気と赤い血の色、そうした鮮やかなイメージは、本書を読みながらも強く感じられた。日本における「美」の感覚とはまったく違う。

これがラテンアメリカ作品独特の、美しさと危なさが表裏一体になった一種の魅力なのだろう。

マジックリアリズムの影響・三島由紀夫との共通点

個人的に、本書のクライマックスは三島由紀夫の「憂国」のラストを思い起こさせた。

サンティアゴ・ナサールはそれでもまだ、しばらく扉にもたれかかっていた。が、日光に当たった自分のきれいな青い腸を見ると、膝から崩れ落ちた。(中略)

彼は体をよじるようにして起き上がると、垂れ下がった腸を両手で支えながら、幻覚症状が現れたときのようにふらふら歩きだした。

サンティアゴは体を滅多刺しにされていながら、ふらふらと100メートル以上も歩く。実際にはそのような状態で歩くことなどできないだろう。しかも自分の腸をきれいな青だと思う。

これこそガルシア・マルケス作品の真骨頂、マジックリアリズムの手法。非日常を日常的な手法で描くのが特徴だ。本書においては「百年の孤独」や「エレンディラ」等他の作品と比べると、この手法の影は薄い。しかしこのシーンを含め、やはり全体的に独特な、白昼夢のような世界観が描かれている。

三島の「憂国」は、新婚の中尉が妻とともに自害するという短編。文庫本で30ページあまりの中で、究極の「快楽」と「死」が濃密に描かれている。最後に妻と愛し合ったあと、妻に凝視されながら中尉が軍刀を腹に突き立てるシーンは、読み手の五感に迫るほど、こと細かに描写されている。

「憂国」は1961年の作品で、本書の方が後に書かれている。ガルシア・マルケスが当時三島作品を読んでいたのか、またどちらが影響を受けた側だったのかは分からない。とはいえ、後年、三島は「豊穣の海」を、ガルシア・マルケスは代表作「百年の孤独」をほぼ同時期に書いていて、両作品は共通する点がいくつもある。

現実では見えない部分まで見えてしまい、それが白昼夢のように、時に美しくさえ感じてしまう書き方は、まさにガルシア・マルケスのマジックリアリズムと共通する部分があるように思う。

1960年代、ガルシア・マルケス、フリオ・コルタサル、バルガス・リョサを中心としたラテンアメリカ文学は世界的に注目され、人気に火が付いた。日本でも大江健三郎や筒井康隆、池澤夏樹、寺山修司、中上健次など多くの作家に影響を与えている。近年の作品では森見登美彦の「夜は短し歩けよ乙女」なども。ガルシア・マルケスは、ノーベル文学賞作家の候補だった三島由紀夫とともに、日本の文学にとって重要な存在となった。

ちなみに、以前記事で紹介した梨木香歩は、「百年の孤独」を愛読書としていて、新潮社より刊行されたガルシア・マルケス全小説の「百年の孤独」の解説を担当している。

これからの時代にどう読むか

物語はサンティアゴ、アンヘラ、バヤルド、この対照的な三人が中心となって、進んでいく。

サンティアゴはアラブ系の移民で、父親から受け継いだ牧場の経営をすぐに成功させた金持ち。そのサンティアゴに汚されたと話すアンヘラは、昔からこの土地に住んでいる貧しい一家の出だ。そして、アンヘラを見初めたバヤルドは、突然町にやって来た「魅力的な」男で、大きな功績を上げた家系出身であり、物語では、新しい文明をこの町に持ち来む役割を担っている。

得体の知れない人物として町にやって来たバヤルド。しかし彼の存在は確かに魅力的で、次第に町の人々は彼を受け入れていく。現代においては、新型コロナが現れ、世の中が大きく変わりつつある中で、AIの技術が大きく飛躍しつつある、といった状況と照らし合わせることもできるだろう。

ここで注目すべきなのは、最終的に三人ともが幸せにならないことだろう。

新しいものの登場で、昔ながらのものは消えていったり、犠牲になっていく。バヤルドのように新しいものを持った人を目にすれば、周りも変わらざるを得ない状況になってくる。そして、こうした世の中の流れは移民と土地の人々との対立において、弱い方をどんどん追い詰めていく。

バヤルドにあたるような、新しいものをいち早く手にした人間も、犠牲者である。最新の文明を手にしていても、彼らは孤独なのだ。

町の人々は、犯行の予告を耳にすると、復讐の必要性や倫理的なジレンマに直面する。サンティアゴの死を阻止する機会がいくつかあったにもかかわらず、人々は干渉することを選ばなかった。無関心、それは現代の日本社会でも問題視されていることだ。そして彼の死は避けられない運命となっていく。

風の時代になったばかりの今。いろいろな価値観が変わりつつある中で、それでも、わたしたちは幸せにならなくてはいけない。そのために、どうしていけば良いのか_ガルシア・マルケスが世界的に評価され、今でも多くの人に影響を与えている理由のひとつは、こうしたいつの時代にも通じる人々の心理、社会問題を綿密な構成の中に織り交ぜて、人々に問いかけているからなのだ。

まとめ

「予告された殺人の記録」は、さまざまな側面から読むことのできる名作だ。地球の反対側の国の、熱気と狂気に満ちた鮮やかな世界を、興味がある方はぜひ味わってほしい。

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