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尾崎翠「第七官界彷徨」|あの幻の昭和モダニズム小説は、今どきシティーガールが主人公!?

第七官界彷徨は幻の昭和モダニズム小説

今まで尾崎翠を知っている人は、よほどの文学オタクだけであったように思う。

短い作家活動の期間ではあったが、現代においても新しく、独特な世界観で、一度読んだら忘れられない作風だ。

近年、再評価が進んでいる注目の作家である。

文庫本で192ページ、文字も大きめなので読みやすい。

ちなみに彷徨は”ほうこう”と読む。

物語はこちらの文章から始まる。

よほど遠い過去のこと、秋から冬にかけての短い期間を、私は、変な家庭の一員としてすごした。そしてそのあいだに私はひとつの恋をしたようである。

『第七官界彷徨』冒頭

主人公の小野町子は、赤いちぢれ毛の少女。

人間の第七官に響くような詩を書きたいと願っている。

今では少女漫画あるあるの、逆ハーレムのような、一風変わった兄弟と従兄との、一つ屋根の下での暮らしが展開される。

1930年代の作品とは思えない、タイムレスな作風。

まるでアニメや映画を見ているような、感覚がふわふわと揺られるような世界観が味わえる。

今でこそ多い、「鋭い感覚を持った女の子」の物語の原点的作品。

こんな方におすすめ

・創作をしている、または創作をしている他人の思考を覗いてみたい

・梨木香歩、長野まゆみ、大島弓子、今敏のアニメ作品(「パプリカ」等)が好き

・植物を育てるのが好き

尾崎翠

尾崎 翠(おさき みどり)1896年(明治29年) - 1971年(昭和46年)、鳥取県生まれ。

女子校時代に「文章世界」に投稿を始める。

大学在学中、「無風帯から」を発表。

1929年、戯曲「アップルパイの午後」を発表。

1931年、「第七官界彷徨」を発表。

1932年、病のため帰郷、その後音信を断つ。

1969年、73歳の時に「第七官界彷徨」が再発見される。

『第七官界彷徨』

「第七官界彷徨」|河出文庫 ● 192ページ|ISBN:978-4-309-40971-9 ● Cコード:0193|発売日:2009.07.07

あらすじ

「人間の第七官にひびくような詩」を書きたいと願う少女・町子。分裂心理や蘚の恋愛を研究する一風変わった兄弟と従兄、そして町子が陥る恋の行方は? 忘れられた作家・尾崎翠再発見の契機となった傑作。

都へ出てきた町子は、兄二人・従兄一人と風変わりな共同生活をしている。既成の家とはかけ離れていて、まるで演劇的というか、後年、少女漫画でよく描かれるような、外の世界とは隔絶された「変わった家」が舞台だ。

兄たちからは「女の子」と呼ばれているのがなんとも良い。彼女は女中部屋に住み、兄たちのために炊事係をこなしながら、詩人になることを夢見ている。

この兄たちがなかなかにクセの強いキャラである。一助は分裂心理の研究をしており、二助は蘚(こけ)の恋愛研究をし、三五郎は音楽学校の進学を目指す浪人生で、調律の狂ったピアノを叩き、コミックオペラを歌う。

まるで逆ハーレム的な世界観、、これが1931年に書かれたというのは、驚き。

感想

第七官とは

第七官とは、五官と第六感の先にある感覚のことを指しているようだが、町子にもはっきりとは分からないし、最後まで謎のままである。

町子はおかしな共同生活の中で、恋愛の不自由な感じや、肥やしの臭い、みそ汁の具の曖昧な味わい、狂ったピアノの音などに五感をゆだねる。それがこちら側の感覚にもダイレクトに伝わり、町子の感覚なのか自分の感覚なのか、読み手は町子といっしょに「彷徨」することになる。

私は、霧のようなひとつの世界に住んでいたのである。そこでは私の感官がばらばらにはたらいたり、一つに溶けあったり、またほぐれたりして、とりとめのない機能をつづけた。

蘚の花粉とうで栗の粉とは、これはまったく同じ色をしている!(中略)私のさがしている私の詩の境地は、このような、こまかい粉の世界ではなかったのか。

音楽と臭気とは私に思わせた。第七官というのは、二つ以上の感覚がかさなってよびおこすこの哀感ではないか。

第七官は、二つ以上の感覚が混ざり合って生まれる、精神的な第六感よりももっと現実に近いような、感覚と現実のあわいを行き来するようなものなのかもしれない。

シティーガールと曲者の男たち

作者の翠は鳥取県で育ち、東大農科で肥料研究に夢中になっていた三兄(『第七官界彷徨』の二助のモデル)を頼って上京する。ちなみに、この三兄が本作の二助のモデルとなっている。

翠は網野菊や湯浅芳子と知り合い、林芙美子ら多くの文人たちとも交流している。今でいうと、有名作家を夢見ながら都会で暮らす、シティーガールだった。作中にも、ボヘミアンネクタイ、チョコレエト玉、ヘヤアイロンなど、モダンなアイテムがたくさん登場している。

町子のモデルは当時の翠自身であったのだろう。

そんな可憐なシティーガールと曲者の男たちが一つ屋根の下で暮らす物語、となれば、それはもう普通な日常なんてありえないのである。

一助は分裂心理学なるものを研究している。彼はこの分裂心理というものをもった変態患者だけを入院させる病院に勤めている。

二助は泣いてばかりいる女の子に失恋して、それ以来植物の恋愛ばかり研究している。町子は、ひそかに二助の抒情詩のような論文ノオトを読むのが好きだ。

従兄の三五郎は、音楽学校を目指す浪人生で、真面目な勉強はせず、調律の狂ったピアノを叩き、コミックオペラを歌って過ごしている。彼は明らかに町子に懸想していて、髪を切ってやったり、その切った後の姿に見惚れて頸に接吻したりする。町子も嫌がるそぶりは全くない。

当時は誰もが思いつかないような世界観だったのが、今では多くの少女漫画で描かれるようになった。前例がない感覚や概念を言葉で表すのは至難の業だ。その先頭を切って世に出た町子という可憐なキャラクターは、時間の概念を超えて今も生き生きとしている。

植物も恋をする

二助の部屋は床の間がいちめん大根畑で、大きい古机の上もまた植物園だった。ノオトや鉛筆、香水瓶と一緒に、蘚のような植物がいくつかの平べったい器の上に繁茂していた。読み進めながら、この部屋の景色を想像するのはとても楽しい。

個人的に、一助のこの言葉が好きだ。

人間が恋愛をする以上は、蘚が恋愛をしないはずはないね。(中略)人類が昼寝のさめぎわなどに、ふっと蘚の心に還ることがあるだろう。じめじめした沼地に張り付いたような、身うごきのならないような、妙な心理だ。

中井英夫の『薔薇への供物』にも、人間のように「生きている」薔薇が蠱惑的に描かれているが、こちらはもっとピュアに、恋と愛を交換し合うけなげな植物たちが描かれている。

観葉植物が好きな人なら、ガジュマルにはキジムナーという精霊が住んでいるという言い伝えを聞いたことがあるかもしれない。当然、植物は生きているわけで、もしかしたら人間みたいに色んな感情を持っているのかもしれないと考えると、何だか世界が優しく、おもしろく見えてくる。

こうした感覚によって、第七官界へたどり着けるのかもしれない。

まとめ

町子は「鋭い感覚を持った女の子」で、こうしたキャラクターは後年の多くの少女漫画にも登場することになった。

今現在、何か創作をしているという人や、表現者がどんな考えで作品を作っているのか、他人の思考を覗いてみたい、と思う人は、この『第七官彷徨』の世界に浸ってみてはいかがだろうか。

最後に、読みながら下記のような感覚になれたら、第七官はもうすぐそこかもしれない。

そしてついに私は写真と私自身の区別を失ってしまったのである。これは私の心が写真の中に行き、写真の心が私の中にくる心境であった。

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