
「赤をめぐる時間」
網戸の向こうに青空が見える。雲が風に流されている。あれが水蒸気の集まりでできているなんて、科学の知識が無かったらおそらくわたしは信じないだろう。太陽に照らされている側が白っぽい金色のふちどりを作って、陰っている部分は空を透かしたような青みがかった灰色をしている。ふいに子供のころの記憶がたちのぼってきた。
今日のようなよく晴れた日、名前を憶えていないともだちと、市民プールに行った。水中から上を見上げると、無数の泡が踊りながら上昇していて、うねる水面があった。わたしは端の見えない水色の世界に、優しく包まれていた。やがて息が苦しくなって勢いよく水面を破ると、鼻にまといつくカルキの匂いと周りにいる人々の楽しそうな声がわたしを現実に戻す。名前を呼ばれ振り返ると、そこにいたともだちの耳たぶが光に透けて、赤く輝いていた。
わたしにとって赤という色は特別だ。生まれたての生き物は赤ちゃんというし、血の色は、赤。アダムとイブが食して目がひらけてしまったのは、林檎。林檎は色々な品種があるけれども、わたしが真っ先に想像するのは紅玉やサンふじの燃えるような赤。すべての根源の色である。また、赤は心理的に食欲や購買意欲を掻き立てる色でもある。大企業のロゴや広告は赤が多い。食欲や物欲というのは、わたしたちはお腹が減ったりストレスや満たされない感覚に見舞われたときに、いやわたしは生きるんだ、という反対方向へ引っ張る力として引き起こされる。赤は本能を掻き立てる色なのだ。
今から二百年ほど前、メアリー・シェリーはゴシック小説、そして最初のSF小説でもある「フランケンシュタイン」を書いた。当時、女性が小説を書くことは珍しく、大変なことだっただろうと想像する。書く時間や機会さえ持てなかったり、読み書きできないというひとも多かっただろう。わたしはいつもメアリー・シェリーから、熱い思いのこもった、赤い色を想起する。自分の誕生日が彼女と一緒ということがとても誇らしいし、物書きの端くれとして、尊敬と畏怖の念をいだいている。
フランケンシュタインという名前はあまりにも有名だけれども、この名は、神に背く行為であると知りながら理想の人間を設計し、自在に操ろうと怪物を創りあげてしまった科学者、ヴィクター・フランケンシュタインのことであって、じつは怪物には名前すらない。
わたしが机に向かいペンを手にして、頭の中で言葉を探す旅をしているとき、ふっとこの怪物に似た生き物を見ることがある。わたしは、まだ自分の力ではこの灰色の怪物に手を伸ばしても、雲のようで触れられない気がしている。できることは、自分がとてつもなく悲しい夜、かれの抱える孤独や絶望に寄り添って眠ること。モノクロームの夢の中で、わたしと怪物は完璧な美しい赤を探して彷徨っている。メアリー・シェリーからわたしが想起する赤とは、血の通った、生きているものの抱える完全な愛の色なのではないかと思う。
柘榴色、臙脂色、紅の八塩、茜色、猩猩緋。世の中には、美しい名をもつ赤という色が無数にある。しかしよく考えてみると、わたしは赤い色の服をあまり持っていないことに最近気がついた。わたしには理想の赤い服というのがあって、それが一体何という名前の赤なのか分からないままなのだけれど、生活の中でなかなか見つからないのである。急いで欲しいわけでもないし、なかなか良い線を行っているアイテムがあったとしても、全体のシルエットや粗材の感じ、値段を見てまあ、今回はいいや、となってしまうことも多々あるのだ。
それにしても、理想の赤い色の何と少ないことか。おそらく赤に染めるのは技術的にもなかなか難しいのではないかと思う。産業革命時代は緑色の染色も難しかったらしいけれども(恐ろしいことに、当時はヒ素で染めていたとか)。
あるとき、ジャズミュージシャンの菊地成孔のライブに着ていく服を探そうと思い、新宿伊勢丹へ行った。そこで限りなく理想に近い赤い色のアニエスベーのミニスカートを見つけた。しかしいざ試着室の中で着て鏡に映った自分を見ると、あれ、と首をかしげる。とても良い。自分に合っている。丈も、着心地も、良い。なのだけれど、突然におかしな欲がもわんと心に湧き上がってきて、もっと完璧に近い色がこの世の中にはあるのではないか。あ、そういえばユニクロに絶妙な色のニットがあったっけ。となり、さんざん迷った挙句に買わなかったのである。これが赤の魔力、とわたしは勝手に思っている。無邪気な人たらしのようにこちらを狂わす。しかし狂わされるのは楽しかったりもする。
わたしは一階に降りてきて、たくさん服を見すぎてぼんやりした頭のまま、化粧品売り場を彷徨う。どうしよう、ユニクロまで行くにはちょっと疲れた。シャネルの黒光りしたディスプレイの前でふと立ち止まる。そこには様々な赤の口紅が並んでいた。完璧な赤を身に着けたいならば唇にのせた方がさりげないし、それでいて、より自分のものになった気になれるのではないか、と考えた。わたしは青みがかった鮮やかな赤のルージュアリュールを買った。コロナ禍になる何年か前の、二十代半ばの冬だった。
シャネルはブランドとしての黄金比率が完璧だと思っている。マルジェラとかグッチとか、多くのブランドは個性を前面に出すことで、ブランドとして成立させている。それぞれの魅力がうちは他とは違うのよ、と個々に光っているので、人によって好みが分かれるだろう。一方でシャネルはほんとうにみんなの期待にはまっている優等生。それでいてぜんぜんつまらなくならないので、このただ一つ輝く椅子は他の者が取ろうとしても奪えない、といった風格がある。
ガブリエル・ココ・シャネルが女性たちをコルセットから解放したという、歴史の転換点に象徴的に立っているというのも、他とは一線を画している理由のひとつだろう。わたしは、はじめにそうした勇気ある行動をしたシャネルにあこがれるし、ルージュアリュールを塗る行為は、いつだって特別なのだった。
その後、菊地成孔のライブを観に六本木まで行った。この夜、わたしは唇に赤を纏って、深蒸したような緑色の、ウールのジャンパースカートを着ていた。前座にwonkも出演し、素晴らしい、熱い夜であった。その最中に、このあたりで四百年前、三代将軍家光の母である江姫が火葬されたことをふと思い出した。そのときは大量の香木も燃やされ、その香りが辺り一帯を覆っていたという。それから時は流れ、六本木の地下、宵を詰め込んだフロアで、わたしはサックスの音色を聴いている。ジャズのライブというのが初めてだったので、あ、わたしいま大人な空間にいる。それがこの日の全体的な感覚であったが、そういえばわたしはいつのまに大人になっていたのだろう。たいていの人は大人になりました、という感覚のないままに年だけをとってゆくもの。そうしてなにも分からないままに、死んでしまうのだろう。そんなことを思いながら、菊地成孔のサックスは輝き、温かさをはらんだ金属の音色と共に揺れるように、わたしは夜の波間にたゆたった。
その口紅は、コロナ禍になってからはほとんど付けなくなり、もうつけるには古くなりすぎてしまって、一度、夕暮れの雲の絵の色を塗るのに使ってみた。化粧品には、どうしても鮮度のようなものがあるから、紙の上にグラデーションになって伸ばされたその赤は、なんだかもうわたしの好きな赤ではなくなってしまった気がした。
赤は巡る血の色。生きる色。つまりは時間の進む色。わたしは一生をかけて一番に好きな赤を探し続けていたい。
フランケンシュタインの怪物が、温みのある血の通った愛を求めて地上を彷徨ったように。
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ちょこっと2023年振り返り&新たな試みのこと
2023年6月に本の紹介サイトとして当サイトを立ち上げてから、早くも半年が経ちました。今年はほんとうにあっという間、そしてとっても濃い一年でした。時々、読んでくださっている方から面白かったよ~と感想を下さることもあり、嬉しい限りです。このサイトはワードプレスで一から作っており、ウェブデザインについて勉強したり、試行錯誤しながら、執筆活動と併せて我ながら頑張って作ったなと思います(笑)それまで小説を執筆をするか、youtubeを見るくらいしかパソコンを使ってこなかったわたしですが、今年は長年温めてきたことを実行し、さまざまな活動を開始しました。(活動記録は主にインスタかTwitter、threadsの投稿にのせていますのでよかったらぜひ)
当サイトではわたしはカモメちゃんと名乗っておりますが、2023年は鷗乃綾香という名で作家活動をスタートさせた記念すべき年となりました。また、言葉にまつわる創作、出版、キュレーション等を手掛けるプロジェクト、「コトノヨット」を創設し(位置づけとしてはリトルプレスに近いです)、その第一弾として自分のエッセイを刊行することができました。(「コトノヨット」についてはまた別の投稿で詳しく書けたら!)
これまで当サイト、カモメトカトカではわたしが読んだおすすめ本をいくつか取り上げてきましたが、これからは新たな試みとして、時々自分の作品や日々の記録も公開していこうかなと思います!その第一弾として、「きなこもち奉行」に収録されている一編「赤をめぐる時間」を全文公開してみました!こちらは読んでくださった方々から、いちばん好き!とお声をくださることが多い作品です。そしてこのエッセイ集の中で、いちばん書くのが大変だった作品でした(笑)嬉しいお声をいただき、感謝感激です。
作品に出てくる菊地成孔さんは、素晴しいジャズミュージシャンの方。エッセイも書かれるし、ファッションやお料理、他分野への造詣も深く、あこがれの大人です。東京の夜といえば、菊地成孔でしょう。また、作中で菊地さんのライブを観ている最中に「このあたりで四百年前、三代将軍家光の母である江姫が火葬されたことをふと思い出した。そのときは大量の香木も燃やされ、その香りが辺り一帯を覆っていたという。」という部分は、これまた大好きな作家、朝吹真理子さんの「TIMELESS」を読んで知った出来事でした。ふとしたときの点であった事象たちは、時間の流れの中でぶつかり合い、絵の具が混ざるように記憶に結び付けられていくのだなと思います。あのライブの夜は、その不思議で美しい感覚に浸ることのできた思い出深い時間でした。
赤って、不思議な色だと思います。今年出会った赤で、はっとするような美しさだったのは、高円寺の名店ネルケンの天鵞絨の椅子でしょうか。老舗ならではの魅力を放った赤でした。
またエッセイにも書いたように、赤は血の色。この作品を書いているときも、完成してからも、世界では多くの血が流されています。文章を書くとき、思いは言葉になる前にどんどん取りこぼされていって、少ししか形にできない、といつも思います。また、もっと書くべきことがあったのではと心残りを感じたり。活動する中で、伝わり切れない部分に悶々としたり、悔しい思いをすることもあります。
それでも、読んでくださった方々からの温かいお声に支えられて、続けられています!まずは自分に与えられた幸せをちゃんと受け止めたいです。わたしは自分が言葉に救われてきたので、もらった光を誰かに届けたい、という思いで表現活動をしています。小さな足取りですが、今後も書き続けていきます!
さて来年はどんな赤に出会えるのでしょうか。喜びの赤であっても、悲しみの赤であっても、真摯に向き合いたい。そしていつも当サイトやわたしの作品、SNS等を見て応援してくださるみなさまに、これからも素敵な言葉、人との出会いがたくさんありますように。
「きなこもち奉行」について
このエッセイ集は2023年11月11日、文学フリマ東京にて発売開始されました。
「ありえないものたちの邂逅」がテーマの本作は、シャネルの口紅とフランケンシュタインの怪物、反時計回りの殻を持つカタツムリとデヴィッド・ボウイ、向日葵とストラヴィンスキー、ギンガムチェックのワンピースと宝石みたいなカナブン、怪談「皿屋敷」とアイドル、、などなど、普段顔を合わせることのないようなものたちが出会った瞬間を切りとって、言葉を紡いでいます。日常で、その場に同時に存在するはずのないもの同士が、なぜだか鉢合わせている。古今東西の言葉たちと戯れる日々の中で、そんな光景に出くわすことがあります。そのおもしろさ、おかしさ、不思議さを、みなさまにものびのびと味わっていただきたいです。 全55ページ。
現在販売しているのは、以下の場所です。よろしければふらっとお立ち寄りください~!(詳しくはインスタへhttps://www.instagram.com/kamomee_tokatoka/)
- ブックマンション 吉祥寺 の中にある「BOOKSカモメと港」の棚(わたしがキュレーション、選書している棚です)
- 百年 吉祥寺
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引き続き、よろしくお願いいたします~!!