西加奈子がしゃべっている姿を見るのが好きだ。直木賞の記者会見の時や、テレビ番組で又吉直樹や中村文則と話しているのを見るとき、なんてまっすぐで、言葉に対して真摯に向き合っている人なのだろう、といつも目が釘付けになる。大阪弁で、明るく気さくに話す中に、「言葉」への思いは誰にも負けない、という熱が伝わってくる。
そんな西加奈子の書く作品だからこそ、わたしは不思議に思ったりもした。本作では、彼女の大阪っぽさはふっと隠れる。イランで生まれ、エジプトにいたことがあるという珍しい経歴も、少なからず影響していると思うけれども、おそらくは彼女の世界と言葉に対する向き合い方が、「慣れ親しんできた環境」というフィルターを上手に外して、執筆することができたのだろう。
本作は、そんな西加奈子のギャップを相当に感じることのできる作品だ。初めて西加奈子を読む方にも、おすすめ。
舞台は、立派な庭園に、錦鯉の池も美しい、けれどどこか寂しげな温泉宿。
優しいけれど、優しさでふたをしない。そんな著者のまなざしが、キャラクターを生き生きとさせている。
なぜこの四人で温泉へ?と思わせるような、彼らの微妙な関係と、奥深い心理描写が癖になる。
湿り気のある温泉宿、川の流れ_それぞれのキャラクターを通して語られる日本的な風景が美しい。
西加奈子
西 加奈子(にし かなこ)1977年5月7日、父の海外赴任地であったイランのテヘラン生まれ。イラン革命が起きた2歳のときに帰国。小学1年生から4年生までをエジプトのカイロで過ごし、帰国後は大阪で育つ。
『あおい』(2004年)で文壇に登場。
『さくら』(2005年)
『炎上する君』(2010年)
『漁港の肉子ちゃん』(2011年)
『サラバ!』(2014年)で直木賞を受賞
『i』(2016年)など。
『窓の魚』
- 出版社 : 新潮社; 文庫版 (2010/12/24)
- 発売日 : 2010/12/24
- 文庫 : 214ページ
- ISBN-10 : 4101349568
- ISBN-13 : 978-4101349565
あらすじ
温泉宿で一夜を過ごす、2組の恋人たち。静かなナツ、優しいアキオ、可愛いハルナ、無関心なトウヤマ。裸の体で、秘密の心を抱える彼らはそれぞれに深刻な欠落を隠し合っていた。決して交わることなく、お互いを求め合う4人。そして翌朝、宿には一体の死体が残される──恋という得体の知れない感情を、これまでにないほど奥深く、冷静な筆致でとらえた、新たな恋愛小説の臨界点。
「窓の魚」
感想
なぜこの四人で温泉へ?
最初はこれを恋愛小説と言って良いのか分からなかった。物静かなナツと明るいアキオ。キラキラ女子ハルナと無愛想なトウヤマ。対照的な四人が、温泉宿にやって来る。彼らは世間からは普通の人と思われるような、自分の知り合いにも一人はいそうなキャラクターたちだ。けれども、それぞれ誰にも言えない(理解できない)闇を抱えている。この闇がかなり恐ろしく、色々な意味で深い。
物語は、四人の視点で語られる。誰かが発した一言を、一人一人が異なったとらえ方をしており、また発した本人も周囲とはまったく違った考えをめぐらせていたりする。それが恐ろしくもあり、彼らが独白するそれまでの生き方を知ると、どこか納得してしまったりもするのだ。
ナツはなぜだかいつも頭がぼんやりしている。(最後の方でそのわけが明かされると、やっぱりそんな気がしていた、と、いや怖すぎではないか、という気持ちが押し寄せる)そんな彼女は、露天風呂で脚に牡丹の刺青をした女の人を見たときに、何かを思い出す。
私は、あなたを知っている。急に、そう思った。
(中略)
女の人の顔も、牡丹の刺青も、見たことなどないはずだ。でもこの懐かしさは、私のことをよく知ってくれている誰かに会ったときのような安心感は、そして同時に沸いてくる、胸をかき乱す黒い塊は、何なのだろう。(中略) お湯の中でまた肌が泡立つほど、体がひやりと冷えた。
「窓の魚」
そして女の人が風呂から出て行った後、ナツは不思議な光景を目にする。
いつも煙草を吸っているトウヤマの携帯には、「あの女」からの電話が何度もかかって来る。ハルナは、トウヤマの服に付いていた自分のものではない針みたいな黒い髪の毛を光に透かす。アキオは、自分の身体の「不吉な傷」を見つめては、過去に思いを巡らす。
次第に四人の心の内を知ってゆくと、人が人を想うとき、優しさだけではないのだと思い出させてくれる。とかく恋愛関係となると、人は想う相手に、自身の満たされない気持ちを求めがちだ。彼らに限っては、かなり歪んではいるけれども、自分の気持ちに正直に、思いのままに生きていると言える。
物語を最後まで読むと、孤独を抱えた彼らの「生きる」行為が、誰かに愛されたいが故のものなのだと伝わってくる。
それぞれのキャラクターを通して語られる風景
冒頭は、川が出てくる。この作品全体において、水の流れを感じるが、それはきらきらとした水ではなく、どこか不穏で湿り気のある影をたたえた、しかし美しい川の流れである。
バスを降りた途端、細い風が、耳の付け根を怖がるように撫でていった。あまりにもささやかで、頼りない。始まったばかりの小さな川から吹いてくるからだろうか。川は山の緑を映してゆらゆらと細く、若い女の静脈のように見える。紅葉にはまだ早かったが、この褪せた緑の方が、私は絢爛な紅葉よりも、きっと好きだ。目に乱暴に飛び込んでくるのではなく、目をつむった後にじわりと思い出すような、深い緑である。
「窓の魚」冒頭
以前記事を書いたガルシア・マルケスの「予告された殺人の記録」にも川が出てくるが、こちらは田舎の温泉街の、いかにも日本の風土を感じる川、といった印象。
ナツたちがやって来た宿は、立派な庭園があり、錦鯉のいる池がある。この池は露天風呂と隣り合わせになっており、風呂側からは、ガラスの窓越しに鯉が泳いでいるのを見ることができる。しかし泊っている客はほとんどいない。どこか寂しげだが、それが風情となっている場所だ。
また、赤い唇、煙草の煙、手紙、湯飲み、なんてことの無いものたちも、物語のカギとなるアイテムであるとともに、奥深く、鮮やかな印象を与えている。
こうした風景は登場人物たちの目には、異なって映る。彼らは、それぞれの「孤独」をはらんだ心で風景を感じており、しかし全員が美しいと感じている。彼らは、目に映る景色のどこかに、自分を優しく迎えてくれる場所を探しているのかもしれない。
優しいけれど、優しさでふたをしない。まっすぐな著者のまなざし(ちょっとネタバレ?)
トウヤマは幼かったころ、厳しい祖母にもっと愛されたいと切望していた。ハルナはお金をかけてどれだけ可愛いと言われるようになっても、満たされない。アキオは自身の弱い体を抱えて、昔飼っていた犬の死んでいく瞬間を何度も思い出す。そして次第に自分より弱くなってゆくものを見つめることに快感を覚える。
作者の西加奈子は、案外身の回りに多くいそうなキャラクターとして彼らを描いている。アキオみたいな人だって、怖いけど、確かにそういう裏のある感じの人も、世間にはいる。大変な思いをして、孤独にならざるを得なかった彼らだけれども、それを理由に美化して描かないところが、徹底されている。
例えば、いつもは明るいアキオの、幼いころ飼い犬のミルが衝撃的な理由で死んだときの、この感情。
ミルが愛しかった。哀しい感情は、少しも沸いてはこなかった。残酷であるとか、非道であるとか、そういうことは、微塵も思わなかった。それどころか僕は、体中を急速に満たしていくミルへの甘い愛情に、しびれていた。
「窓の魚」
それから、個人的にハルナのような子とは現実ではあまり仲良くならないと思うけれど、彼女のトウヤマとの出会いを語るシーンの、ここはすごく可愛いと思ったし、彼女の満たされない孤独がよく表されている。
トウヤマ君は、
「紅茶は好きですか」
と聞いてきた。好きだと答えると、少し安心したように目を伏せて、それから、そのカクテルを出してくれた。(中略) 名前はなんですか、そう聞くと、トウヤマ君は知らないと言って、その日初めて笑った。あたしが聞いたのは、トウヤマ君の名前だったから、あたしはそんな風に言われて、トウヤマ君のことを、好きになった。
「窓の魚」
西加奈子は、優しさで彼らにふたをしないで、静かに、まっすぐ彼らを見つめる。それが四人の奥深いところを浮かび上がらせて、彼らの孤独と、誰かに「愛されたい」という叫びが、読み手の心に刺さる。
彼らが宿に泊まった翌朝、一体の死体が発見されるが、それは誰だったのか_
もしかすると、ミステリーを期待していると物足りなさを感じてしまうのかもしれない。ただ西加奈子がいちばんに書きたかったのは、起きた事実ではなかったのだと思う。
四人が切実に求めたのは何だったのか。ひっそりとした池で泳ぐ鯉たちのように、彼らはそれぞれに、孤独の深淵を泳いでいる。
まとめ
まず「窓の魚」というタイトルが本当に素敵だと思う。このタイトル以外は考えられない。そして、想像とは全く違う方向に進んでゆく物語だ。ぜひ、川の流れにゆだねるようにして、それを楽しんでいただきたい。
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